昭和30年代当時の東映任侠映画は鶴田浩二と高倉健の二大スターによって席巻されていた。鶴田浩二だけでも任侠ものシリーズは「博徒」と「博奕打ち」この2作品だけでも年に2本づつ…つまり盆と正月に公開するため最盛期の10年間は、かなりのハードスケジュールで作品をこなしていたと思う。その上、高倉健や藤純子が看板番組のゲスト出演として顔を出しているのだから、主役、脇役を合わせると例えば昭和40年では13本、翌年は15本、生涯の出演本数は実に通算247作品という驚異的な俳優人生を送ってきている。(キネマ旬報データベースより)そんな東映のドル箱スターであった鶴田浩二も元々は東宝に所属していた男優で、イマイチ主役を張れるスターではなかった。そんな彼に目をつけて東映に呼んだのが任侠映画の名プロデューサー俊藤浩滋であった…勿論、まだ任侠映画というジャンルが存在していなかった時代だ。本来、当時は6社協定という大きな壁が存在しており、各大手映画会社に所属している俳優は他社の映画に出演することは勿論、移籍することすら不可能に近い状態だったのだが、あっさりと東宝も手放したというのだから、当時の鶴田浩二の地位が理解出来るだろう。
 しばらくは東映でもギャングものに出演していたが転機は突然訪れる。「人生劇場 飛車角」の大ヒットと東映が新しいジャンル―時代劇でも現代劇でもない新しい活劇、任侠映画―を見つけ出した事である。翌年にはすぐに当たり役ともなった「博徒」シリーズがスタートし、これが鶴田浩二をスターの座に押し上げる決定打となった。彼が演じるヤクザな男は、一見優しい雰囲気を持っているのだがひとたび堪忍袋の緒が切れると鬼の形相を呈する。しかし、顔立ちからだろうか…知的な雰囲気を持っているため観客としては無鉄砲な無茶はしないだろうと安心して観ていられる。健さんの場合は、キレるのが鶴田浩二よりも早い気がするのだが…。
 個人的に一番カッコ良かった作品を挙げてみようと考えたところ、意外にも鶴田浩二の主演作ではなく藤純子引退記念映画として製作された「関東緋桜一家」であった。悪いヤクザの客分で、しかも先代からその悪い奴の後見人を受け継いでいるから止め続けなくてはならないという役だ。いよいよ、そのヤクザがどうにもならない行動を起こしかけた時、彼はあえて脇腹に短刀を受ける。刺されたところで「これでお前への義理は果たしたぞ」と自分の脇腹に刺さった短刀で相手を刺してしまうのだ。義理を果たした後に豹変する表情がたまらなく良い。皮肉にもそれは、任侠映画の終焉を飾る最後の映画であった。


本名・小野榮一。静岡県浜松市出身。1924年12月6日〜1987年6月16日。
 昭和中期から末期にかけて活躍した俳優、歌手。映画全盛期に幾多もの映画に出演し、抜群の風貌と時々垣間見せる、母性的なやさしさが人気を博し、日本を代表する映画スターとして長らく君臨した。
14歳の時に、俳優に憧れ当時スターであった高田浩吉の劇団に入団。19歳で関西大学専門部商科に入学するが(この学歴についても不明な点が多い)、その年に学徒出陣令により徴兵。終戦まで海軍航空隊に所属し、その体験が人生に多く影響を及ぼした。また22歳の時に薬の副作用で、左耳が難聴になってしまう。それが鶴田の独特の歌唱スタイルを生むこととなる。
 1948年に長谷川一夫主演の松竹『遊侠の群れ』でデビュー。甘い二枚目からサラリーマン、侍、軍人、ギャングに至るまで幅広くこなし、歌手としてもヒットを飛ばし大スターとなっていった。1952年には独立して新生プロを興した。恋人と噂された岸恵子と共演したハワイの夜(新生プロ制作)も大ヒット。その後も新東宝、大映、東宝の各映画会社で主演した。出演作は優に200本は超える。
 特に1963年から東映の任侠路線のトップスターとして高倉健とともに多くのやくざ映画に出演。本職も唸らすその男の情念は熱狂的な支持を得た。また、1970年の『傷だらけの人生』は映画のヒットとともに、大ヒット曲となった。テレビ出演では、1976年〜1982年まで放送されたNHKのドラマ『男たちの旅路』シリーズ(山田太一原作)は鶴田の魅力を存分に発揮させ、大ヒットとなった。また、歌手としても『傷だらけの人生』などがヒット。左手を耳に添えて歌う独特のスタイルは、よく知られているところである。第二次世界大戦中に海軍軍人として多くの戦友を失ったことから、戦争の悲劇に対するモットーは人一倍であり、それが役者人生の原動力にもなっていたといっていい。
 巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、日本遺族会にも莫大な寄付金をした。この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなった。また、各地で戦争体験・映画スターとしてなどの講演活動も行った。生涯を通じて、亡き戦没者への熱い思いを貫き通した。
 晩年に癌細胞が発見され、1987年6月16日、肺ガンのため62歳で死去(遺作はNHKドラマ「シャツの店」)。鶴田の葬儀の際にはたくさんの戦友や元特攻隊員が駆けつけ、鶴田の亡骸に軍服を着せ、棺を旭日旗で包み、戦友たちの歌う軍歌と葬送ラッパの流れる中を送られていった。弔辞は池部良が務めた。
(Wikipediaより一部抜粋)

【主な出演作】

昭和38年(1963)
次郎長三国志
人生劇場飛車角
・続飛車角
昭和侠客伝

昭和39年(1964)
博徒
監獄博徒
銃殺
人生劇場
・新飛車角

昭和40年(1965)
明治侠客伝
  三代目襲名
関東やくざ者
関東果し状
関東流れ者
顔役

昭和41年(1966)
お尋ね者七人
関東やくざ嵐
兄弟仁義
・関東三兄弟
・ 続兄弟仁義
大陸流れ者
日本大侠客
博徒七人
遊侠三代

昭和42年(1967)
あゝ同期の桜
渡世人
博奕打ち
解散式

昭和43年(1968)
侠客列伝
極道
人間魚雷
あゝ回天特別攻撃隊
人生劇場
 飛車角と吉良常
代貸
博徒列伝
博奕打ち 総長賭博

昭和44年(1969)
賞金稼ぎ
戦後最大の賭場
渡世人列伝
日本暴力団組長

昭和45年(1970)
血染の代紋
現代任侠道兄弟分
最後の特攻隊

昭和46年(1971)
傷だらけの人生
日本やくざ伝
  総長への道
任侠列伝男
博徒外人部隊
暴力団再武装

昭和47年(1972)
関東緋桜一家

昭和48年(1973)
三池監獄 兇悪犯

昭和53年(1978)
聖職の碑

昭和54年(1979)
総長の首

昭和60年(1985)
最後の博徒



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