伊丹十三監督作品、全10作品中、何と『タンポポ』と『あげまん』を除く8作品の撮影を手掛けた前田米造カメラマン。ドキュメンタリー映画のような引きの画から、これでもか!というくらい俳優の顔にカメラを近づけて人間の本性を剥き出しにするクローズアップの画にいたるまで、前田氏のカメラによって、人間の内面に隠された醜い部分が赤裸々に露呈してしまう。伊丹監督と初めて組んだデビュー作『お葬式』では、カメラのフィルターを遺体の視線に置いて、遺体を覗き込む人々の滑稽さを浮き彫りにしてしまった。さも、貴方が死んだらこういう風に見えるんですよ…と言わんばかりの映像に可笑しさの反面、切なさを感じた覚えがある。他にも前田氏は色々なものをクローズアップする。葬儀が始まる前に山崎務演じる主人公が愛人と屋外セックスをする場面では、おもむろにパンツを脱ぐ高瀬春奈のお尻がスクリーン全体に大アップで映し出され、度肝を抜かれた。初夏で別荘を囲む緑が美しい季節で、その緑を鮮やかに映すために、通常の倍の照明を当ててカメラの絞りをギリギリの状態に設定して、その結果ナチュラルで美しい映像が再現されたわけである。ちなみに、本作で16ミリで撮影したモノクロの劇中映像があるが、この撮影は前田氏の提案で写真家の浅井槇平が担当している。これは、あえて素人っぽさを出すため撮影する人間を替えて異なるトーンを出したのだという。小田原にあった映画館で『お葬式』の最初のラッシュを観た時のこと…場内の明かりがついた時、主演の宮本信子と目が見い、お互いに「いけるね!大丈夫」と確信し合ったという。撮影に入る前に伊丹監督と取り決めを行ったのは、ズームアップはしないで、アップはカメラを役者に近づけよう、反対に引く時はちゃんと離れて撮る…と、いうことだ。「ズームは一つの手抜き」という持論はしっかりと作品に反映されており、『ミンボーの女』では、中尾彬を筆頭にヤクザ役を演じた俳優にカメラを近づけ、まくしたてるヤクザのツバキがこちらに飛んできそうな迫力に満ちた映像を実現させた。面白いのは、この近距離カメラが『マルサの女』になると疚しい気持ちがある脱税者や幇助してきた関係者の冷や汗が映し出されるので、穏やかでない心境が手に取るように分かるのだ。また、『マルサの女』シリーズは遠くから被写体を捉える映像が多く、おかげで脱税者の動きを監視カメラで覗いているようなドキュメンタリータッチの臨場感が再現できた。引いたり寄ったり…下手するとキワモノになりそうな映像をセンスよく描く事が出来たのは照明を担当していた桂昭夫のおかげ。彼は数多くのCMを手掛けており、ライトのポイントが的確で、シャープなコントラストが出せたと前田氏は語っている。
 伊丹監督は、当時の日本映画界で主流だったビスタサイズを採用せずに徹底してスタンダードサイズにこだわっていた。ビスタサイズの映像は構図的にもシャープでキレイと言われているが、伊丹映画のようにアップを多用する場合はスタンダードが最適らしい。多分、人間の顔がスッポリ収まって、左右に余計な隙間が生まれないからだと思われるが、伊丹監督は、そこまで計算してスタンダードに結論を見出したのだろう。(後期の作品にビスタサイズが多いのはスタンダードサイズに対応出来る映画館が少なくなってきたため)前田氏は、伊丹監督とコンビを組む前は、森田芳光監督の映画にカメラマンとして数多くの作品に携わっている。中でも日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞した『それから』は彼の代表作にして最高傑作と評しても良いだろう。雨の中松田優作と藤谷美和子演じる主人公の二人が何も語らず愛を確かめ合うシーンをハイスピードで撮影し、ゆっくり落ちる雨粒と静かに揺れるユリの花が青白い照明に浮かび上がる幻想的で美しい画を完成させた。また、松田優作の元に息急ききってやってきた藤谷美和子が喉の渇きを潤すために花瓶の水をコップですくって飲み干すシーンがあるのだが、このシーンの透明感は本当に無垢な主人公を象徴しているかのようで美しいシーンだった。前田氏が初めて森田監督と組んだ大ヒット映画『家族ゲーム』でも、前田氏特有の顔のアップが多用されており、家庭教師の松田優作が教え児の宮川一郎太に顔を近づけて、囁くようにセリフを言うシーンにおいて、既に二人の顔にカメラをギリギリまで接近させる技法を採用しており、これがこの映画の面白さとなった。団地の狭い部屋の閉塞感を見事に描写した撮影技法である。ひょっとしたら、本作には役者として伊丹十三も出演していたので、ここでヒントを伊丹監督は得ていたのかもしれない。他にも象徴的な人物のクローズアップが多かった『悲しい色やねん』では、主人公に殴られるチンピラの顔をドアップにして折れた歯が吹き出される様子をスローで捉えていた。そもそも、この技法自体がマーティン・スコセッシ監督の“レイジング・ブル”から来ているものだろうけど。この作品の後、2作品を森田監督と撮ってから、『未来の想い出』を最後に、撮影助手だった高瀬比呂志にバトンタッチして、前田米造は伊丹監督と本格的にコンビを組むのだ。
 ある意味、日本の映画界の在り方を変えた二人の監督―伊丹十三と森田芳光の作品を撮り続けたカメラマン・前田米造。彼の仕事に対するスタンスを見ていると、プログラムピクチャー全盛期の職人カメラマンとダブってしまう。きっとそれは、良い映画を創るために、自分が前面に出るのではなく、現場で一緒に考え的確なアドバイスや判断を下す…といった仕事のやり方を前田氏がしているからであろう。観ていて安心するのは落ち着いてストーリーを追う事が出来るのも前田氏の良いところ。奇をてらった斬新さは無いが、語るべきところにしっかりとフォーカスを当てて常に安定した映像を送る事って凄い事であるのを我々は認識しなくてはならない。モンゴルでオールロケーションを敢行した澤井信一郎監督作品『蒼き狼 地果て海尽きるまで』の撮影を担当した前田氏は、雄大な大自然をバックにデジタル撮影ではなく昔ながらの手法でフィルム撮影を行った。そこには、長年培ったカメラマンとしての勘や経験値が必要であり、テレビでは出せない本物を…という製作の角川春樹プロデューサーの意向に見事応えている映像を残す事に成功している。この撮影についてコダックのオンラインマガジンにて「フィルムは自分の生涯を描いているような感じがする」と語っている。ビデオに比べてフィルムの場合は苦労した分、完成時の感動があるという。70歳を越えて、作り手の思いを実現するために様々な技法にチャレンジする姿勢は、職人だから成せる業なのだ。


前田 米造(まえだ よねぞう) YONEZOU MAEDA 1935年10月23日生まれ
1954年、撮影助手として日活撮影所に入社し経験を積む。1972年、『たそがれの情事』(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビュー後、『帰らざる日々』『赫い髪の女』『キャバレー日記』等の日活ロマンポルノの名作を撮る。以降様々な作品の撮影を手掛け、森田芳光監督と1983年『家族ゲーム』でコンビを組んで以来、数多くの作品を手掛ける事となる。1985年の『それから』では、毎日映画コンクール撮影賞および日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞し、1990年には『天と地と』(角川春樹監督)で同じく日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞している。1984年に『家族ゲーム』で俳優として出演していた伊丹十三からオファーを受け『お葬式』のカメラマンとして参加。以後、8作もの伊丹監督作品に携わってきた。2007年には芸術文化に対する多大なる貢献を讃えられ旭日小綬章を受章。70歳を越えてなお現役で活躍し続ける日本映画界屈指の撮影監督であり、現在は日活芸術学院映像科専任講師としても活躍されている。
(Wikipediaより一部抜粋)

主な代表作

昭和41年(1966)
不敵なあいつ

昭和42年(1967)
対決

昭和46年(1971)
八月の濡れた砂

昭和48年(1973)
昼下りの情事
 古都曼陀羅

昭和51年(1976)
風立ちぬ

昭和52年(1977)
霧の旗

昭和53年(1978)
黒薔薇夫人
帰らざる日々
団鬼六 縄化粧

昭和54年(1979)
赫い髪の女
もっとしなやかに
 もっとしたたかに

昭和56年(1981)
天使のはらわた
 赤い淫画

昭和57年(1982)
キャバレー日記

昭和58年(1983)
家族ゲーム

昭和59年(1984)
ときめきに死す
メイン・テーマ
お葬式

昭和60年(1985)
それから
野蛮人のように

昭和61年(1986)
そろばんずく
時計

昭和62年(1987)
マルサの女
ハワイアン・ドリーム

昭和63年(1988)
マルサの女2
悲しい色やねん

平成1年(1989)
スウィートホーム

平成2年(1990)
天と地と

平成3年(1991)
おいしい結婚

平成4年(1992)
夜逃げ屋本舗
ミンボーの女
未来の想い出

平成5年(1993)
大病人

平成7年(1995)
静かな生活

平成8年(1996)
スーパーの女

平成9年(1997)
マルタイの女

平成12年(2000)

平成13年(2001)
ピストルオペラ



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