『男はつらいよ』を始め、山田洋次監督作品にとって欠かす事が出来ない名カメラマン、高羽哲夫。1回平均550カットで構成される『男はつらいよ』シリーズの殆ど…第1作から第46作までの撮影監督を務めた高羽は本シリーズにおける影の立役者である。ロケーション撮影が多い作品では、あらゆる天候や季節によって異なる自然光を計算しなくてはならない。それがセット撮影と大きく異なる点で、日本全国のロケーションがウリだった『男はつらいよ』シリーズ程、カメラマンの腕が問われた作品はないであろう。また『男はつらいよ』は全て1:2:35のシネマスコープサイズで撮影されており、横長のフレームに広がる日本の懐かしくも美しい構図に我々観客は感動させられた。シネマスコープサイズは、ビスタサイズよりもゴージャスな印象があり、盆暮れに公開される映画には、シネマスコープサイズがよく似合うのだ。毎回、冒頭で柴又に帰ってきた寅次郎が立つのが江戸川の土手。抜けるような青空と深い紺色の江戸川の流れと緑色の河川敷の芝生…そしてそこにフレームインしてくる我らが寅さん。毎度お馴染みの構図ながら、高羽の映像は安心感を与えてくれる。48作も作られるとカメラやフィルムも進歩してクリアな映像になっているが、いつも色合いは優しくアングルもずっと寅さんを見てきた家族のような視線で捉えている。冒頭、故郷に帰ってきた寅次郎はほぼ必ずと言って良いほど江戸川の河川敷を歩いてくる。時にはカップルを冷やかし、時にはゴルフの邪魔をしながら、“とらや”に行き着くまでのタイトロールで何かしらやらかしてくれる。そのシーンの構図が前述した川と芝生と空で組み合わされているのだ。よく考えたら柴又駅から帝釈天の参道にある“とらや”に帰る場合は江戸川を歩く必要はないのだが、寅次郎にとって故郷とは江戸川そのものだから見ないで家に帰るわけにはいかないのだろう。それだけに、江戸川の映像は作品の中でも重要なのである。江戸川のシーンで忘れられないのは『続・男はつらいよ』で恩師のために江戸川で天然のウナギを釣り上げた寅次郎が夕焼けの土手を源ちゃんと恩師の娘であるマドンナと喜びながら走る姿だ。高羽はカメラを江戸川沿いに寅次郎が走るのと平行に走らせ、夕日に浮かぶシルエットで寅次郎の歓喜の気持ちを見事に表現していた。続いて、松竹大船撮影所内に作られた“とらや”のセットで寅次郎が店に現れるシーンとなるのだ。ここも毎回基本となる奥の部屋にいるさくらやおいちゃん、おばちゃんの後ろ姿を手前に店の外をうろついたり、馬鹿話しをしながら寅次郎が入ってくる(この場合、大体がセンターに寅次郎がきちんと収まっているのだ)という構図で、物語が展開されてゆく。この安定した映像こそが、観客が『男はつらいよ』を観た時に懐かしく感じる所以なのである。毎回、周到なる段取りで挑む撮影は常に当日になると変更の繰り返し。渥美清は新しい芝居を思い立つ度台本を変更してしまい、山田監督は現場でドンドン脚本を書き直す。こうしたギリギリまでこだわるから良い作品が生まれるのだが、それに合わせてカメラのポジションを臨機応変に動かしながら最適なアングルを見つけ出すのが高羽の手腕の見せどころとなる。
 寅次郎が旅先でマドンナと出逢う図式が確立されて行くと、ロケ地の重要度が増してくる。単なる観光映画にならなかったのは、山田監督が名所ばかりではなく、地方独自の空気感を映像に収めようとしたからだ。時には路地裏や場末の飲み屋街…といった観光客が近寄らない場所を選んだりしている。高羽氏のカメラは、まさに山田監督が求める土地々々の空気や匂いを映像の中に収めているからスゴい。『柴又慕情』の中盤に北陸の田舎町にある小さな駅…陽も暮れて街灯に明かりが点るシーンがあるのだが、その色合いが何とも言えない心に染みる寂しさが画面から滲み出ているのだ。当初、50ミリのレンズを使っていたが、前述のような情景カットはワイドレンズを採用するようになってから美しい日本の風景がシャープに再現されている。山田監督は高羽哲夫について「無限のポジション、無限のパースペクティブの中から、ひとつを選び取ることを委ねている」と語っている程、信頼している。『男はつらいよ』シリーズ以外にも高羽氏と山田監督は数多くの作品でコンビを組んでいる。デビュー作『馬鹿まるだし』から二人の付き合いが始まり、『幸福の黄色いハンカチ』『息子』といった名作をファインダーの中に収め続けてきた高羽は常に的確なカメラポジションを選び出してきた。その多くはシネスコサイズで撮影されており、対象となる人物たちの背後にある風景や脇役からエキストラの演技に至るまで高羽の目は時代を切り抜いてきた。「考えてみると、僕がシネスコを好きなのかも知れない」と後に語っている(渡辺浩著「映画キャメラマンの世界」より)ほど高羽の作品にはシネスコサイズが多い。しかし、ロケーション撮影が多い『男はつらいよ』シリーズや『幸福の黄色いハンカチ』のような作品の場合、遠くで演技している俳優の動きが重要なポイントとなる場合が多い。深く印象に残っているのは『幸福の黄色いハンカチ』で高倉健を待つ倍賞千恵子が家の軒先で洗濯物を干しているシーン。その後ろに“待っています”という合図の黄色いハンカチがはためき、健さんが真っ直ぐ歩いてゆく。クライマックスのこのシーンを1つのフレームに収めたおかげで映画史上に残る名シーンとなったわけだ。正にシネスコサイズだから出来る技である。
 撮影中、渥美清の演技が面白くて何度も吹き出してしまい怒られたという倍賞千恵子。山田監督はそんな高羽を人間的な連帯感に結ばれた中での叱り方だと語り、当時の事を“幸せな現場”だったと振り返る。皮肉にも渥美清と同じ病(C型肝炎)に侵されて『紅の花』のシナリオハンティングまでしていながら映画のクランクインには間に合わず帰らぬ人となってしまった高羽哲夫。その後を追うようにして半年後に永眠した渥美清。日本映画を陰日向に支えてきた二人の映画人を失ったのは日本映画最大の損失である事は間違いない。


高羽 哲夫(たかば てつお) TETSUO TAKABA 1927年 - 1996年10月31日 福島県出身
福島県立会津中学校(旧制)卒業。1948年、松竹に入社。1962年、まだ撮影助手だった高羽が助監督だった山田洋次と初めて顔を合わせてから、映画カメラマンとして山田監督作品『馬鹿まるだし』からコンビを組み、『男はつらいよ』シリーズ全48作の撮影に携わり、山田監督作品としては67本の撮影監督を担当している。山田監督の良きパートナーとして撮影進行中に監督が行き詰まると決まって適切な判断を下し、助言を与えていた。『息子』においては“毎日映画コンクール撮影賞”を受賞。『男はつらいよ 紅の花』では、既に癌が進行しており、シナリオハンティングまで行い他界している。
撮影助手として日活撮影所に入社し経験を積む。1972年、『たそがれの情事』(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビュー後、『帰らざる日々』『赫い髪の女』『キャバレー日記』等の日活ロマンポルノの名作を撮る。以降様々な作品の撮影を手掛け、森田芳光監督と1983年『家族ゲーム』でコンビを組んで以来、数多くの作品を手掛ける事となる。1985年の『それから』では、毎日映画コンクール撮影賞および日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞し、1990年には『天と地と』(角川春樹監督)で同じく日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞している。1984年に『家族ゲーム』で俳優として出演していた伊丹十三からオファーを受け『お葬式』のカメラマンとして参加。以後、8作もの伊丹監督作品に携わってきた。2007年には芸術文化に対する多大なる貢献を讃えられ旭日小綬章を受章。70歳を越えてなお現役で活躍し続ける日本映画界屈指の撮影監督であり、現在は日活芸術学院映像科専任講師としても活躍されている。(Wikipediaより一部抜粋)

主な代表作

和39年(1964)
馬鹿まるだし
いいかげん馬鹿
馬鹿が戦車で
 やって来る

昭和40年(1965)
霧の旗

昭和41年(1966)
運が良けりゃ
男の顔は履歴書
なつかしい風来坊

昭和42年(1967)
九ちゃんのでっかい夢

昭和43年(1968)
吹けば飛ぶよな男だが

昭和44年(1969)
男はつらいよ
でっかいでっかい野郎
喜劇 女は度胸
続男はつらいよ

昭和45年(1970)
男はつらいよ
 フーテンの寅
喜劇 男は愛敬
新・男はつらいよ
家族
男はつらいよ 望郷篇

昭和46年(1971)
男はつらいよ 純情篇
男はつらいよ 奮闘篇
男はつらいよ
 寅次郎恋歌

昭和47年(1972)
男はつらいよ 柴又慕情
男はつらいよ
 寅次郎夢枕
故郷

昭和48年(1973)
男はつらいよ
 寅次郎忘れな草
男はつらいよ
 私の寅さん

昭和49年(1974)
男はつらいよ
 寅次郎恋やつれ
男はつらいよ
 寅次郎子守唄

昭和50年(1975)
男はつらいよ
 寅次郎相合い傘
男はつらいよ
 葛飾立志篇
同胞

昭和51年(1976)
男はつらいよ
 寅次郎夕焼け小焼け

男はつらいよ
 寅次郎純情詩集

昭和52年(1977)
男はつらいよ
 寅次郎と殿様
男はつらいよ
 寅次郎頑張れ!
幸福の黄色いハンカチ

昭和53年(1978)
男はつらいよ
 寅次郎わが道をゆく
男はつらいよ
 噂の寅次郎

昭和54年(1979)
男はつらいよ
 翔んでる寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎春の夢

昭和55年(1980)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
男はつらいよ
 寅次郎かもめ
遙かなる山の呼び声

昭和56年(1981)
男はつらいよ
 浪花の恋の寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎紙風船

昭和57年(1982)
男はつらいよ
 寅次郎あじさいの恋
男はつらいよ
 花も嵐も寅次郎

昭和58年(1983)
男はつらいよ
 旅と女と寅次郎
男はつらいよ
 口笛を吹く寅次郎

昭和59年(1984)
男はつらいよ
 夜霧にむせぶ寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎真実一路

昭和60年(1985)
男はつらいよ
 寅次郎恋愛塾
男はつらいよ
 柴又より愛をこめて

昭和61年(1986)
男はつらいよ
 幸福の青い鳥
キネマの天地

昭和62年(1987)
男はつらいよ 知床慕情
男はつらいよ
 寅次郎物語

昭和63年(1988)
男はつらいよ
 寅次郎サラダ記念日
ダウンタウン
 ・ヒーローズ

平成1年(1989)
男はつらいよ
 寅次郎心の旅路
男はつらいよ
 ぼくの伯父さん

平成2年(1990)
男はつらいよ
 寅次郎の休日

平成3年(1991)
男はつらいよ
 寅次郎の告白
息子

平成4年(1992)
男はつらいよ
 寅次郎の青春

平成5年(1993)
男はつらいよ
 寅次郎の縁談

平成6年(1994)
男はつらいよ
 拝啓 車寅次郎様

平成7年(1995)
男はつらいよ
 寅次郎紅の花

平成9年(1997)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇



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