山田洋次監督作品『下町の太陽』で山田監督作品のデビューを主役で飾った倍賞千恵子を初めて観た時、“うわぁ〜お人形さんみたいな女の子だ”と思った。SKD(松竹歌劇団)の踊り子だった彼女がレコードデビューしたヒット曲の映画化である本作は、まさに倍賞千恵子のための映画だった。下町の工場で働く少女が友情や恋愛を通して成長していく青春ドラマだ。本作がキッカケで山田監督とコンビを組むこととなるのだが、下町の持つ人情をしっかりと表現出来る彼女の才能に、庶民を描く事にこだわりを持っている山田監督が惚れ込んだのも無理はない。優しい顔立ちの奥に一本筋の通った芯の強さが下町っ子そのもので、彼女の生まれ育った東京・北区の滝野川と環境が似ていたからかも知れない。彼女は、渥美清との想い出と自身の生い立ちを綴ったエッセイ“お兄ちゃん”にて、こう記している。彼女が初めて『男はつらいよ』の台本をめくった時「私が滝野川でなじんだ世界、知り尽くしている世界が目の前に開けます」と、感激したという。
 そして、いよいよ『男はつらいよ』がスタートするわけだが、渥美清がファンから「寅さ〜ん」と呼び掛けられるように、「さくらちゃん」とオバサンたちに声を掛けられるという倍賞千恵子。シリーズ開始から27年間48作という壮大なドラマの中で出演者たちは役と共に人生を歩み、回を重ねる毎に成長する姿を見せてきた結果かも知れない。最初の頃は寅さんに何か言われると涙を流していた優しく可愛いさくらだったが、次第に寅さんに文句を言い、逆に食ってかかる強さを見せ始める。また、時には“あぁ…さくらは寅さんと兄弟なんだなぁ”と思わせるような、山田監督なりの遊び心を加えて、“とらや”に訪ねてきたさくらが誰もいない店内で「おいちゃ〜ん、おばあちゃ〜ん…誰もいないの?みんな死んじゃったの〜?」等とドキッとするようなドラスティックな台詞を言う。ところが、それが実に可愛いのだ。本当に、どこにでもいるような身近な女性…さくらを演じているというよりも倍賞千恵子は『男はつらいよ』の中では、諏訪さくらなのである。だから、彼女が作中でつぶやく「お兄ちゃんが可哀想…」と涙ぐむ姿には、倍賞千恵子という女優の影は存在しない。ある役者は完璧に役になりきるのを由とせず、「どこかに役者の姿を残しておかなくては観客がお金を払って映画を観に来る意味がない」と語っていたが、そういう意味では彼女は女優として失格となるかも知れない。しかし、『男はつらいよ』のような壮大な御伽噺の中において彼女のようなリアリティは虚構の世界と我々観客を結ぶ架け橋の役割を担い、映画として非常に重要な存在だったのだ。
 その反面、『男はつらいよ』の人気が高まって来た頃、彼女は大きな悩みに直面していたという。街を歩いていても、お店に入っても、さくらの目で見てしまうというのだ。映画のキャラクターのイメージが強ければ強い程、多くの俳優が直面する問題だ。しかし、私生活でも常に彼女を気遣い心配してくれる良き“お兄ちゃん”であった渥美清が言った一言「役者が道を歩いていて、役名で呼ばれるなんて大変な事なんだぞ」と『男はつらいよ』が都民文化栄誉賞受賞の知らせが入った時に覚悟は決まったという。「さくらさんでも倍賞さんでも、どっちでもいいじゃないの」昭和年の事である。思えばそれ以降、立て続けに『寅次郎ハイビスカスの花』『寅次郎かもめ歌』『浪花の恋の寅次郎』『寅次郎紙風船』『寅次郎あじさいの恋』と、シリーズ屈指の名作が作られたのは決して偶然ではない。いつの間にか、映画の登場人物たちは役柄の人生を演じながら、自らの人生を投影させてきたから、単なる喜劇とは呼べない奥深いドラマが生まれたのかも知れない。
 演じる役の人生について深く掘り下げる事を『男はつらいよ』で学んだ彼女は、シリーズ以外で忘れられない数多くの名作を生み出した。特に、高倉健と共演した人間ドラマの山田洋次監督作・第一回日本アカデミー賞作品賞他、その年の主要な賞を総ナメにした名作『幸福の黄色いハンカチ』は、服役していた健さん演じる炭坑夫の夫の帰りを待つ妻を好演。夫は出所前、妻に一通の手紙をしたためる…「もし、俺を許してくれるなら家の前に黄色いハンカチをかざしてくれ」アメリカの有名なフォークソングを映画化した本作は大ヒットを記録。ラスト…無数のハンカチがたなびく光景に多くの観客が涙した。倍賞千恵子の演技の素晴らしさを見る事が出来るのは、刑務所から夕張へ戻る健さんの回想シーン。二人の出逢いから時間軸を追って、彼女が流産してしまい自暴自棄に陥る健さんをそして、もう一本。健さんと再び共演した倉本聡原作、降旗康男監督作『駅』は、久しぶりに松竹と山田監督から離れての東宝映画。北海道のローカル線駅前にある小料理屋の女将に扮し、殺人犯の恋人をかばう汚れ役に挑戦した。それまで誠実な女性ばかりを演じてきた倍賞の違った一面を見る事が出来る。特に、健さんが訪れる大晦日の閑散とした彼女の居酒屋で二人が無言のまま繰り広げる演技は、鳥肌が立つほど素晴らしい!この2作品でベストパートナーというイメージが定着した倍賞・高倉コンビだが意外にも、これ以外では『遥かなる山の呼び声』を含む3作品しか共演をしていないのが不思議なくらいだ。
 渥美清が亡くなる直前に彼女の元に掛かってきた一本の電話。出る前に切れてしまったために、それが渥美の電話だったのか知る由もないが、彼女は、それが最後のお別れの電話だったと信じているという。さくらの将来を案じて寅さんが掛けてきたとしたら…最近、主演した『ホノカアボーイ』の倍賞千恵子を観て胸をなで下ろすに違いない。彼女は、ハワイの小さな島に一人で住む初老の女性を好演しており、勝手な妄想だが“あぁ…きっと、さくらがおばあちゃんになったら、こんな感じだろうな”と、思った。台詞の言い回しがサバサバしていて、決して語尾が伸びない。紋切り型の独特な口調は、気っ風の良い下町の匂いを漂わせる。…そんな倍賞千恵子の演技を観て、この歳になっても人間は日々変わっていくのだなぁ…と感動してしまった。


倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ)CHIEKO BAISHO 
1941年6月29日生まれ。東京都北区滝野川出身。
 愛称「チコちゃん」で親しまれ、倍賞美津子を実妹に持つ。1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。同期に榊ひろみ(松竹女優)、加藤みどり(声優)ら。学校時代の実習出演を経て、入団後の初舞台は同年のグランドレビュー「東京踊り」。この年から、主席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。
 1961年、松竹映画にスカウトされ『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演し、以降、山田映画に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。映画『男はつらいよ』シリーズで、渥美清演じる主人公車寅次郎の妹、さくら役でその人気を不動にした。『家族』以下、シリーズの合間を縫って山田監督が発表したオリジナル大作や、シリーズ開始前の初期作品もほとんど彼女の主演であり、実に六十数本、しかもほとんどが主演か準主演という、海外にも類を見ないほどの緊密で長い監督・主演女優コンビである。逆に他監督作品への出演が少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では結実しなかった。松竹歌劇団出身ということもあり強いモダニズム志向もステージには伺えるが、映画ではやはり稀である。明るいが優しく淑やかなさくらのキャラクターに比べると実像はもっとチャキチャキしているとは本人が常日頃口にしており、そうした陽性の側面を引き出す企画として山田の愛弟子・高橋正圀はNHKテレビドラマ『ぼくの姉さん』二部作を書き下ろしている。1980年の山田洋次監督作品『遙かなる山の呼び声』で日本アカデミー賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を、1981年の降旗康男監督の東宝映画『駅 STATION』でキネマ旬報賞、毎日映画コンクールの主演女優賞を受賞。 2004年には、宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』で、ヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。
 1963年には『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場した(14回〜17回まで連続出場)。ほかにヒット曲には「さよならはダンスの後で」「おはなはんの歌」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。歌謡曲からポピュラー/スタンダードに童謡・唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなせることに加え、日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高く(藤山一郎も評価している)、現在でも精力的にコンサート等を行っている。1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では弔辞の後に「さくらのバラード」を献歌した。音楽活動は女優業と平行して行っており、映画『男はつらいよ』終了後は、音楽に重点を置いた芸能活動をしている。
(Wikipediaより一部抜粋)
倍賞千恵子オフィシャルサイト http://baisho-chieko.com/



【参考文献】
渥美清わがフーテン人生

190頁 19 x 13.4cm 毎日新聞社
渥美 清, 「サンデー毎日」編集部【著】


【参考文献】
男はつらいよ パーフェクト・ガイド ~寅次郎 全部見せます

192頁 28.4 x 21cm NHK出版
松竹株式会社【著】 NHK出版 【編集】
1,680 円(税込)

【主な出演作】

昭和36年(1961)
のれんと花嫁

昭和37年(1962)
二人で歩いた幾春秋
泣いて笑った花嫁

昭和38年(1963)
下町の太陽

昭和39年(1964)
女嫌い

昭和40年(1965)
霧の旗
さよならは
 ダンスの後に

昭和41年(1966)
なつかしい風来坊
暖流

昭和42年(1967)
愛の讃歌

昭和43年(1968)
白昼堂々

昭和44年(1969)
男はつらいよ
続男はつらいよ

昭和45年(1970)
男はつらいよ
 フーテンの寅
新・男はつらいよ
家族
男はつらいよ 望郷篇

昭和46年(1971)
男はつらいよ 純情篇
男はつらいよ 奮闘篇
男はつらいよ
 寅次郎恋歌

昭和47年(1972)
男はつらいよ 柴又慕情
男はつらいよ
 寅次郎夢枕
故郷
あゝ声なき友

昭和48年(1973)
男はつらいよ
 寅次郎忘れな草
男はつらいよ
 私の寅さん

昭和49年(1974)
男はつらいよ
 寅次郎恋やつれ
男はつらいよ
 寅次郎子守唄

昭和50年(1975)
男はつらいよ
 寅次郎相合い傘
男はつらいよ
 葛飾立志篇
同胞

昭和51年(1976)
男はつらいよ
 寅次郎夕焼け小焼け

男はつらいよ
 寅次郎純情詩集

昭和52年(1977)
男はつらいよ
 寅次郎と殿様
男はつらいよ
 寅次郎頑張れ!
幸福の黄色いハンカチ

昭和53年(1978)
男はつらいよ
 寅次郎わが道をゆく
男はつらいよ
 噂の寅次郎

昭和54年(1979)
男はつらいよ
 翔んでる寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎春の夢

昭和55年(1980)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
男はつらいよ
 寅次郎かもめ歌
遙かなる山の呼び声

昭和56年(1981)
男はつらいよ
 浪花の恋の寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎紙風船
駅 STATION

昭和57年(1982)
男はつらいよ
 寅次郎あじさいの恋
男はつらいよ
 花も嵐も寅次郎

昭和58年(1983)
男はつらいよ
 旅と女と寅次郎
男はつらいよ
 口笛を吹く寅次郎
刑事物語2
 りんごの詩

昭和59年(1984)
男はつらいよ
 夜霧にむせぶ寅次郎
男はつらいよ
 寅次郎真実一路

昭和60年(1985)
男はつらいよ
 寅次郎恋愛塾
男はつらいよ
 柴又より愛をこめて

昭和61年(1986)
男はつらいよ
 幸福の青い鳥
キネマの天地
植村直己物語
離婚しない女

昭和62年(1987)
男はつらいよ 知床慕情
男はつらいよ
 寅次郎物語

昭和63年(1988)
男はつらいよ
 寅次郎サラダ記念日

平成1年(1989)
男はつらいよ
 寅次郎心の旅路
男はつらいよ
 ぼくの伯父さん

平成2年(1990)
男はつらいよ
 寅次郎の休日

平成3年(1991)
男はつらいよ
 寅次郎の告白

平成4年(1992)
男はつらいよ
 寅次郎の青春

平成5年(1993)
男はつらいよ
 寅次郎の縁談

平成6年(1994)
男はつらいよ
 拝啓 車寅次郎様

平成7年(1995)
男はつらいよ
 寅次郎紅の花

平成9年(1997)
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇

平成16年(2004)
隠し剣 鬼の爪

平成17年(2005)
この胸いっぱいの愛を

平成20年(2008)
母べえ

平成21年(2009)
ホノカアボーイ



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