脚本家として剣持亘の名前を知ったのは、大林宣彦監督による尾道三部作『転校生』だった。児童読み物作家の山中恒の原作“おれがあいつであいつがおれで”を大林監督の元に持ってきて「これを読んでみてくださいませんか」と渡したのが『転校生』という日本映画史上に残る名作が誕生した初めの一歩である。その当時の想い出を『さびしんぼう』のパンフレットの中で以下のように振り返っている。「ぼくは映画『転校生』の原作本を携えて、初めて尾道を訪れた。着いた時にはもうヘトヘトに疲れていて、出迎えてくれた大林さんの笑顔を見て、ホッとしたのを思い出す」(もともと出不精で日本の地理に疎かった剣持は、尾道を遠隔の地と思い込んでおり、飛行機と在来線を乗り継いで東京から尾道までかなり遠回りしたと語っている)。尾道で一週間の休暇を取っていた大林監督に原作を持って行ったという絶妙なタイミングと相まって、目の前に広がる尾道の海が見える別荘の一室で原作を読んだ大林監督は「ここ尾道で、この映画を撮ろう」と決めたという。「“あばれはっちゃく”のような映像的なものと違って、いわゆる心理葛藤を中心に捉えた、きわめて概念的な小説で、あまり映像的な作品ではないからと本作の映画化に不安を思えていた」と『転校生』のパンフレットの中で山中恒は当時を振り返っていたが、結果的には「映画は原作と肌合いの違うものであったが、みごとに愛を描いていた。試写が終わったあと、私は顔を上げられなかった。涙が出てとまらなかったのである」と続けている。原作者からこれほどの賛辞をもらえるというのは映画としては最も名誉な事だと思う。確かに大林監督による映像のイマジネーションというのも大きいが、身体が入れ替わった事による男女の心理描写を時には面白可笑しく、時には切なく描き上げているのは脚本家・剣持の功績に因るところが大きい。昭和48年に石原プロ製作による『ゴキブリ刑事』で華々しくデビューを飾ったものの、『転校生』に至るまでの9年間にシナリオとして発表したのはたったの2本のみ…という状況だった剣持は、『転校生』の映画化が果たせなければ映画界から身を引こうとさえ考えていたという。ところが、クランクインする段階で突然スポンサーが降りるという、まさに制作中止の危機に陥ってしまう。理由は、シナリオを読んだスポンサーが、少年少女が裸になったりスカートめくりをしたり…少女が生理になる事を正面から描いている事に難色を示して「我が社の信用にかかわるから、お金を出すわけにはいかない」という結論に至ったからだ。結果的には、この脚本を持ち歩いて代わりのスポンサー探しに駆けずり回っていた大林監督が、別の仕事の打ち合わせで会っていたATGの佐々木史朗プロデューサーに、この脚本を見せたところ一晩で脚本を読み上げた佐々木から「僕が何とかしますから撮影を始めて下さい」と連絡が入り、撮影が再開されたという。言い方を変えれば、良きにつけ悪しきにつけ、様々な人間に波紋を呼んだ剣持による脚本の力というのが尋常ではなかったというのが伺い知る事ができる。

 当初、『転校生』の映画化に当たって尾道を舞台とするつもりではなかったという剣持。原作では小樽が舞台となっており、剣持は自身の出身地である小田原をイメージしてシナリオの執筆を行っていたと語っている。要するに三者三様で港町というポイントが共通しているだけで、各々の故郷をイメージしていたのだ。しかし、シナリオ・ハンティングとロケーション・ハンティングを繰り返し、小高い山に登り、海に足を浸し、路地から路地へと歩き回った結果、ロケ地に尾道を選んだのは正解であったと剣持は確信したという。この当時の尾道に対する印象を『さびしんぼう』のパンフレットの中で以下のように表現している。 ―獲れたての瀬戸内の小魚を台車に載せて売り歩くおばさんたちの屈託のない表情。(中略)そして、そこを歩く者に必ず不思議な印象を与える、複雑に入り組んだ路地…角をひとつ曲がる毎に、坂や石段をひとつ上り下りする毎に、全く予想もしない別の景色が、新鮮な驚きを伴って、突然現れるのである。― そして『転校生』の成功後、剣持は立て続けに尾道を舞台とした『時をかける少女』と『さびしんぼう』の脚本を手掛け“尾道三部作”として尾道ブームという社会現象にまで発展することになる。『時をかける少女』では根強いファンの多い筒井康隆の人気小説を手掛けるとあって、どのように映画ならではの『時をかける少女』を作り上げるのか…が最大のテーマとなっていた。当時は角川映画が全盛の頃で、いわゆるアイドル映画としての位置付けを加味しつつ、作品のクオリティーを担保しなくてはならない難題を剣持は難なくクリアしていた。この成功が角川春樹に認められ、原田知世主演作を立て続けに『愛情物語』『天国にいちばん近い島』手掛ける事となる。そして、尾道三部作の最終作であり大林監督の思い入れが強いキャラクターが主人公となる『さびしんぼう』の企画が持ち上がる。『さびしんぼう』は『転校生』の原作者である山中恒の“なんだかへんてこ”を原作としたファンタジーで、剣持と大林監督、内藤忠司助監督の共同脚本となっている。『転校生』では夏の尾道、『時をかける少女』では春の尾道、そして『さびしんぼう』では冬の尾道を描こうと考えた剣持は、前二作品とは違った尾道を発見しようと話しが浮上すると同時にシナリオハンティングに大林監督と赴いたという。剣持の手掛けた脚本の劇中に出てくる少女たちのセリフはとても柔らかく、日本語を大事にされているのが良く分かる。これは、中学の頃から短歌に熱中していたという生い立ちが大きく影響しているものと思われるが、確かに流れるようで儚げなセリフは歌のようにも聞こえる。57歳という早すぎる死を迎えた剣持が生前手掛けた映画は14本と、意外にも少ない作品数に驚かされるが、日本映画界に残した功績は大きい。大林監督のエポックメイキングとなった『転校生』を生むキッカケを作った剣持に対して、逝去して5年後『転校生 さよならあなた』の脚本家として名を連ねた大林監督の決断に格別の思いを抱いている事が伝わってくる。


剣持 亘(けんもつ わたる)KENMOTSU WATARU 1945年8月19日〜2002年7月15日
 中学生の頃より短歌に熱中、高校卒業後、物書きを目指して上京。脚本家・井出俊郎、小国英雄両氏のもとでシナリオライターを志す。童話、絵本、少女マンガの原作等を数多く手掛けた後25歳の時に『ゴキブリ刑事』で映画界デビュー。大林監督に『転校生』の原作を紹介した事から尾道三部作がスタート、『時をかける少女』、『さびしんぼう』全ての脚本を担当し、その全てが大ヒットを記録し現在も根強いファンを有している。また大林作品以外でも、東宝映画のリメイク作品として片平なぎさ主演の『青い山脈』、堀ちえみ主演の『潮騒』といったアイドル作品を堅実に手掛けていた。2002年7
月15日に咽頭ガンのため死去、57歳の若さだった。 (パンフレット『さびしんぼう』より一部抜粋)

主な代表作

昭和48年(1973)
ゴキブリ刑事
ザ・ゴキブリ

昭和50年(1975)
青い山脈

昭和57年(1982)
転校生

昭和58年(1983)
時をかける少女

昭和59年(1984)
少年ケニヤ
天国にいちばん近い島
愛情物語  

昭和60年(1985)
さびしんぼう
潮騒

昭和63年(1988)
日本殉情伝
童謡物語

平成2年(1990)
走れ!白いオオカミ

平成19年(2007)
転校生
 さよならあなた



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