下町のチャキチャキ娘…そんなイメージが強い十朱幸代は東京日本橋生まれの完璧な江戸っ子だ。デビューは岩下志麻と共演したNHK初の連続ドラマ“バス通り裏”の明るいキャラクターが人気を博し、翌年には木下恵介監督作『惜春鳥』で映画デビューを果たし、松竹に入社する。松竹大船の雰囲気がよく似合う育ちの良いお嬢さん風の雰囲気から数多くの文芸作品に出演するのだが、ヒット作に恵まれず昭和38年に松竹を退社。同年に製作された山下耕作監督による股旅映画の傑作『関の弥太ッペ』に出演すると主人公を想い続ける娘の演技が好評を得る。俳優の十朱久雄を父に持つ彼女が女優業を始めたのは遊び半分やバイト感覚の延長で「割と気楽にやれちゃったみたいな」と語っている。(『花いちもんめ』パンフレットのインタビューより)特に女優に開眼した節目があったわけではなく自然と女優業への意識が芽生えていったようだから、映画会社を変わるということも自然な流れだったのかも知れない。

 “バス通り裏”以来、親しみやすいお嬢さんキャラが定着(個人的には『男はつらいよ 寅次郎子守歌』のマドンナ…気っぷの良さから皆に慕われる看護婦役が好きだった)していたが本人曰わく「明るくいところが自分の地だと思っているけど…」と分析した上で、「でも女優はそれだけじゃつまらない。女優のいいところは色々な人生を覗けるところ」と女優業に対する自分の思いも述べていた。20代から30代前半の十朱は、もっぱら活躍の場はテレビドラマだったが「テレビや舞台では出来ない役柄が映画では可能だったりするのが魅力」と語っていた十朱が、映画女優として開花するのは40歳を目前に控えた昭和55年。野村芳太郎監督作『震える舌』の破傷風に冒された娘を必死に看護する母親役で6年ぶりにスクリーンに復帰。口を血だらけにして痙攣を繰り返す娘を前に精神的に追いつめられ衰弱する母親の姿は今までのイメージとは全く異なる役だった。そこにはテレビで見かけるハツラツとしたいつもの十朱幸代は存在しておらず、驚いた記憶がある。ここからが十朱幸代にとって映画女優としてのキャリア第二幕が始まったと言っても良いだろう。続く相米慎二監督作『魚影の群れ』では初めての汚れ役…緒形拳演じる主人公・小浜房次郎の元妻・アヤ役で家族を捨てて男と駆け落ちしたワケありの女に挑む。「今までの自分だったら絶対に考えられない役をもらってハリキった」と言うほど体当たりの演技を披露する。雨の日に傘もささず房次郎が泊まる旅館を見上げる姿を見て思わず唸った。そこに映し出されたのは水商売の安っぽいよれた衣裳を身に付けた出で立ちの今まで見たことがない十朱幸代だったからだ。追いかけてくる房次郎から最後には裸足になって逃げる彼女…遂には手に持ったサンダルを投げつけて道路に横たわってしまう。出演シーンは短いながらも強い印象を残していた十朱は、更に酔っ払って碇泊する船で寝ている房次郎の元へ訪ねて行き、大胆な濡れ場を披露する。忘れられないのは翌日に荷物を持って港に行くのだが、船は既に出航してしまった後…彼女が夜の港で一人“チャンチキおけさ”を歌うシーンだ。この演技が評価されて十朱は第七回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞する。更に二年後、伊藤俊也監督作『花いちもんめ』では千秋実扮すアルツハイマー型痴呆症となった義父を介護をする妻を演じて第九回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。この作品における十朱は以前のような甲斐甲斐しく介護に勤しむような女性ではなく、夫婦仲が悪く酒に溺れていた妻が(嫌な女なんです―本人談)ボケた義父をもてあましながらも次第に心を通じ合わせる中流の核家族にいそうな女性をリアルに演じていた。映画界に戻って立て続けに賞を獲得した十朱は名実ともに映画女優としての立ち位置を確立したと言って良いだろう。

 上記2作品を契機に一皮剥けた感のある十朱は、等身大の主婦から人生の酸いも甘いも噛み分けた女に到るまで器用に演じるようになる。十朱幸代の凛とした色気をいち早く察知して、最大限に引き出したのは宮尾登美子と五社英雄監督のコンビによる『櫂』と『夜汽車』だ。両者共にヤクザな男に翻弄されながらも家族を守ろうと支えてきた女の半生を見事に演じきっている。この2作品があればこそ東映の人気シリーズ『極道の妻たち2』の主役としてお呼びが掛かったのは納得出来るキャスティングだ。また枡田利雄監督作品『社葬』で高級料亭の女将でありながら経済界や政界の大物に精通する人脈を持った女を堂々と演じ、そこには既に大女優の風格を有していた。特に『社葬』では緒形拳演じる大手新聞社の販売部長が起死回生のために十朱に土下座をして、かつて芸者だが彼女を水揚げした経済界の黒幕に合わせて欲しいと頼み込むシーンは印象に残る。かと言えば、ライトな感覚で離婚をゲームのように描いていた根岸吉太郎監督作品『ウホッホ探検隊』では一転して二人の息子の前でも本音で話しを出来るキュートな母親役をセンス良く演じていたりする。

 正に昭和の最後の10年は十朱幸代が席巻していたという印象がある日本映画界だが平成に入ると再び活動の場はテレビや舞台へと移っていく。平成2年に主役を演じた山下耕作監督作品『女帝・春日局』で大奥を牛耳る以前の春日局をしたたかに演じてみせた。思えば本作も舞台のような大芝居が見せ場となっており、これは舞台女優として数多くの座長を体験してきた十朱幸代だからこそ出来たに他ならない。再び枡田利雄監督作品『江戸城大乱』で、ぶつかり合った松方弘樹との演技合戦は双方凄まじい気迫で…作品こそはあまりヒットしなかったものの十朱の素晴らしい芝居を見れて忘れられない作品となった。


十朱 幸代(とあけ ゆきよ、本名:小倉 幸子 1942年11月23日 - ) YUKIYO TOAKE
東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋)出身。
 俳優・十朱久雄の長女で、港区立赤坂中学校在学中の1956年、父親に同伴して訪れたテレビ局でスカウトされ、ラジオ東京テレビ(現TBS)のクイズ番組に父と共に出演し芸能界入りする。1958年にはNHK初の連続帯ドラマ『バス通り裏』の主人公に起用されて一躍お茶の間の注目を集める。映画界デビューは1959年の木下恵介監督作『惜春鳥』、翌年の『春の夢』と立て続けに出演して松竹に入社する。1963年、松竹を退社すると日活と契約を交わし、石原裕次郎や小林旭の相手役を務める。また東映の山下耕作監督作『関の弥太ッペ』での演技が高く評価される。1974年『男はつらいよ 寅次郎子守唄』でマドンナに扮した後、しばらくテレビドラマに活動の場を移すが、1980年久しぶりに映画出演した野村芳太郎監督作『震える舌』の好演が話題となり、ブルーリボン賞主演女優賞に輝く。以降、映画界での活躍が続き、1983年の相米慎二監督作『魚影の群れ』では、短い出演シーンだったにも関わらず、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。そして1985年伊藤俊也監督作『花いちもんめ』ではブルーリボン主演女優賞と日本アカデミー賞優秀主演女優賞をダブルで受賞する。また1968年の初舞台以降、舞台女優として活躍。1975年の芸術座正月公演『おせん』では最年少の座長を務め、興行的にも大成功を収める。以降は、その名前だけでお客を呼べる数少ない芸術座の看板女優として数多くの舞台を踏んでいる。こうした商業演劇における功績が高く評価され、2003年に紫綬褒章を授与されている。

【主な出演作】

昭和34年(1959)
危険旅行
三人姉妹
月見草
惜春鳥

昭和35年(1960)
暴れん坊三羽烏
流転
若手三羽烏 女難旅行

昭和36年(1961)
九千万の明るい瞳

昭和37年(1962)
九ちゃん音頭
春の山脈

昭和38年(1963)
光る海
出関の彌太ッペ
煙の王様
伊豆の踊子
雨の中に消えて

昭和39年(1964)
風と樹と空と
何処へ
黒い海峡
敗れざるもの
殺人者を消せ
大喧嘩

昭和40年(1965)
ぼくどうして涙がでるの
青春とはなんだ
意気に感ず
可愛いあの娘
拳銃野郎
星と俺とできめたんだ
四つの恋の物語

昭和41年(1966)
逃亡列車
地獄の掟に明日はない
かあちゃんと11人の子ども
大空に乾杯

昭和42年(1967)
陽のあたる坂道
北国の旅情
育ちざかり
でっかい太陽

昭和43年(1968)
花の恋人たち

昭和44年(1969)
天狗党
女の警察

昭和46年(1971)
日本侠客伝 刃

昭和48年(1973)
新座頭市物語
 笠間の血祭り

昭和49年(1974)
男はつらいよ
 寅次郎子守唄
青葉繁れる
悪名縄張り荒らし

昭和55年(1980)
震える舌

昭和58年(1983)
魚影の群れ
この子を残して

昭和60年(1985)

花いちもんめ

昭和61年(1986)
ウホッホ探険隊
白い野望

昭和62年(1987)
螢川
極道の妻たちII
夜汽車

平成1年(1989)
ハラスのいた日々
社葬
桜の樹の下で

平成2年(1990)
女帝 春日局

平成3年(1991)
江戸城大乱
首領になった男

平成7年(1995)
日本一短い「母」への手紙



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