とは言え、やはりひとつの映画をヒットさせるために一番大事なのは企画であることを忘れてはならない。川村氏はプロデュース業を「シェフのようもの」と例える。どういう素材(原作やオリジナル)をどのような調理方法で盛り付けをするかを考える役割というのだ。ベストセラー原作だからとか有名監督だからヒットしたとか世間の人たちは考えがちだが、この組み合わせを間違えると、せっかくの素材も死んでしまう事(過去、ベストセラー原作なのにコケてしまった映画もたくさんある)になりかねないのだ。「スタジオジブリ(代表取締役)の鈴木敏夫さんが言われていたのですが…映画企画というのは普遍性と時代性という事。昔から人間のエンターテイメントは笑える・泣ける・怖いという普遍的な人間の感情を刺激するものでし。映画が公開するタイミングにどう届くのかノが考えられていない映画というのは僕的には面白くない」という。そして、もうひとつ企画に大事なのは「発見と発明」と川村氏は挙げる。発見とは「こういう事をやったら面白い」とか「こういうストーリー(事件)を映画にしてみたい」という題材を見つけ出す事。だたし、最初の着想を映画にする作業(プロット制作や脚本化など)を突き詰めて行くうちに一度は行き詰まる事があるという。その物語をどのように映画として昇華して行くか…それが発明であり、その発明がない映画は観客に伝わらないし、面白くならない。

 『告白』の場合、通常、川村氏は原作が出版されてすぐに映画化の権利を取りに行くのだが、同じタイミングで中島哲也監督からも原作権の問い合わせされていたという。「大ベストセラーとなって本屋大賞を獲ったのはその後。売れてから取りに行くのは誰でも出来るのです。大事なのは何が近未来の観客の心を掴むのか?という未来予想をどれだけ立てられるか…ということろです」最近は敢えて自らを情報孤島化して本屋やSNSから遠ざかっているそうだが、やはり本屋に行くことは大事だと語る。「平積みされているのを見ると、作家や漫画家というクリエイターたちが何を考え、どういうトレンドがあるかというヒントがありますから」そして、次に脚本化に移行するわけだが『告白』の課題は、暗い内容の原作を映画化するにあたり、どの方向性で描いていくか?という点だったという。「当時の世相としては感動的なハッピーエンドの映画が求められていた時代でした。『告白』を単館映画にするのは簡単だけど、この内容で全国ロードショー作品として持って行きたい点というのが僕と中島監督の共通の思いだったので、じゃあ、それにはどうすれば良いのか?実はココにこそ映画のコンセプトとか企画の方向性を固める深層的な意味があってクリエイティブのやりがいがあるんです」そこで生まれたのが「ノット・ハッピーエンド、バット・エンターテイメント」というコンセプトだった。「自分の想像していたものよりも脚本家や監督が超えてきた時に感動しますし、お互い目から鱗を何枚剥がせたか?という時に良い映画が出来るんじゃないかな」とは言うもののラッシュを最初に観た時の川村氏は、スゲェーと思ったと同時に、多分コレはコケるな…と思ったという。「人生の幸せを歌い上げるだけが映画じゃねーだろう」というのが一番最初に中島哲也監督が言われた言葉。「確かにいつからエンターテイメントは明るく終わらなきゃいけなかったっけ?」いつの間にかバッドエンドがアートシアターの専売特許のようになったのか?いつから単館映画は暗いエンディングのものばかりになっちゃったのか?メジャー映画としては危ない賭けだったが、映画の中で結論を出さないというのを決めました。「僕の中ではエンディングを突っ込める映画って良い映画だと思っているんです」エンディングがキレイに終わっちゃうと忘れてしまうという川村氏の言葉にナルホドと思わず共感。『電車男』や『モテキ』にしてもラストシーンにあれは何だったんだ?と上映が終わった劇場から出てくる若者たちが口々に言っていたが、まさに『告白』の「なぁ~んてね」に共通するものがある。

 J-POPミュージカルというコンセプトを掲げた映画『モテキ』だが、実は川村氏は別の企画でJ-POPミュージカルの映画を考えていたという。ちょうど、そんな時に深夜ドラマで『モテキ』を観た川村氏は、(自分のやりたかった事を)全部やっているテレビドラマを映画化する考えにシフトチェンジする。「日本人の記憶とJ-POPは結びついているし、歌詞を聴けばセリフを言わせなくても気持ちが伝わったりするじゃないですか?そういうのを一度、映画でやってみたかったんです」そして、もうひとつは、深夜ドラマ番長と呼ばれていながら、同時にコラム書いたり音楽イベントやったりとかマルチで活躍する大根仁監督と仕事をしてみたかったと付け加える。「昔あった“元気が出るテレビ”とか“俺たちひょうきん族”といったメチャメチャなテレビが今は色々規制があって出来なくなって、テレビ東京の深夜にそういったノリが移ってしまった。だから元々テレビが持っていた顔みたいなものが日本映画に上手く移植出来たら、日本独特のカオス感が出せるのでは?と思っていたんです」とは言え、このままだと単館系の映画になってしまう…全国ロードショーに持って行くためには、どうしてもネームバリューのある女優が必要だった。「これだけの女優が集まってくれたのは単純な話で脚本が面白かったから」脚本は女優に対するラブレターだと見事な持論を持っている川村氏は「俳優が出演したいということと出て欲しいというバランスが高いレベルで拮抗しているのがイイ映画の証拠で、お願いして出てもらう時点で脚本が弱いという事だと思うのです」この女優は無理かも知れないと思っているところで承諾された時点で脚本の評価がまず得られたという判断基準が言い得て妙だ。

取材:平成24年6月16日(土)ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012 ラフォーレミュージアム原宿にて


川村 元気/Genki Kawamura 1979年、神奈川県生まれ。
上智大学文学部新聞学科卒業後、2001年東宝入社。入社当初は大阪の難波南街の劇場でチケットのモギリの仕事をしていたが、社内の企画募集に応募したことでプロデューサーになる。2005年、26歳で映画『電車男』を企画・プロデュースして興行収入37億円の大ヒットを記録、社会現象になる。以降も2010年、『告白』『悪人』など多数の大ヒット映画を手掛ける。また、米ハリウッド・リポーター誌の「Next Generation Asia 2010」にプロデューサーとして選出されている。2011年、優れた映画製作者に贈られる「第30回藤本賞」を史上最年少で受賞。2012年には、初小説『世界から猫が消えたなら』で作家デビューした。

【川村 元気 企画/プロデュース作品】

平成17年(2005)
電車男

平成18年(2006)
スキージャンプ・ペア
7月24日通りのクリスマス
ラフ ROUGH
サイレン FORBIDDEN SIREN

平成19年(2007)
そのときは彼によろしく

平成20年(2008)
デトロイト・メタル・シティ
陰日向に咲く

平成22年(2010)
悪人
告白

平成23年(2011)
friends もののけ島のナキ
モテキ



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