大都会東京の真っ只中に、今でも江戸の名残りを漂わしている佃島。昔ながらの運河の流れも高速道路に変貌しようとしている。そんな運河の辺りにおでん屋「惣太郎」がある。おでん屋の亭主、惣太郎(加東大介)と女房おまき(三益愛子)の間に美しい三人姉妹がいる。…豊田四郎監督が昭和37年に発表した名作『如何なる星の下に』のパンフレットに書かれているあらすじの冒頭である。まだ、高速道路が建設される以前の作品だった事が、この内容からもうかがえる。長女の美佐子(山本富士子)が手伝うおでん屋を中心に彼女と関わる男性や肉親たちの群像劇である本作は、当然の事ながら佃島から築地、銀座が主要な舞台となっている。

 元々の地名は佃嶋(つくだしま)で、現在の佃一丁目に当たる。1590年(天正一八年)八月一日、徳川家康が関東下降の際、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り、1645年(正保二年)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて築島し永住することになり、この島を故郷にちなんで佃嶋と命名した。古い地図を見ると「田」の字の島が確認できる。現在の地図を見ても、佃一丁目の形状はそのような形状をしている。
徳川家康の江戸下降の際に移住した摂津国佃の漁夫33人と神主平岡権大夫好次が、同地鎮座の住吉社(現:田蓑神社)の分霊を勧請して創建した住吉神社では、3年ごとに大祭が行われる。2005年夏には360年周年記念大祭がとり行われた。明治大正の博徒の大親分として名高い「佃政」こと金子政吉の一家は築地、月島、佃島、東銀座を縄張りとしていたとされる。


 佃煮は、東京都中央区佃島を発祥とされる海産物の煮物のこと。大阪市西淀川区の佃から多数の住民が移住したとも言われる。 一般に海産物、とりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを醤油・砂糖等で甘辛く煮染めたものをこう呼ぶ(なお、醤油・砂糖等で甘辛く煮染めた、今日で見られるような佃煮を作り始めたのは東京・浅草橋にある「鮒佐」だといわれている)。牛肉の佃煮も目にする。ご飯と一緒に食べると美味とされる。もともとは小さすぎて出荷できない魚を漁民が自家用に保存食としたものという。濃い味付けのために保存性が高まり、参勤交代の武士らが江戸からの土産物として持ち帰ったため広まった。今では全国各地に土地の名物の佃煮はあり、江戸前に限るということはなくなった。

 映画の中でも主人公が乙羽信子と待ち合わせる場所として佃島の運河沿いにある正保3年に創建された「住吉神社」が出てくる。昭和22年に、佃島(現佃一丁目)に居住する男子からなる佃住吉講が組織され、各町会、連合睦会と協力して、三年に一度の例祭(神幸祭)を執り行う、獅子頭宮出し、宮神輿宮出し、古来の神輿海中渡御を再現した船渡御など江戸文化を今に残した祭事が執り行われている。特に住吉神社が所有する神輿は関東では珍しい八角形の神輿であり、「八角神輿」「八角」などといわれ多くの人々に親しまれている。またこの祭礼時には佃島内には6本の大幟が立ち、その大きさに見る者を圧巻させる。境内の鳥居には有栖川宮幟仁親王筆による陶製の住吉神社扁額が格式高く飾られている。

住吉神社ホームページ

 


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